広島県下でも和牛改良の歴史が古いといわれ、種雄牛造成が盛んに行われていた神石郡。
繁殖雌牛の生産基地として全国に名をとどろかせた神石牛は広島県産牛の代名詞に。
大正天皇崩御により御大葬の儀が挙行されるにあたり、神石牛「豊萬号」が異例(京都府丹波牛以外は初)の御下命を賜る栄誉に浴しました。
その後、独自の改良を重ねていき、その血統を引き継ぐ神石牛は、種牛・肉質両面で日本一の栄冠にも輝きました。
神石郡では、大正5年4月に創設された広島県種畜場で種雄牛が育成され、県下に配布されていました。種雄牛造成が盛んに行われていたことから、
種雄牛が県内や県外に購買される頭数も多く、「神石牛」の名声は広く県内外に宣伝され、「神石牛」といえば広島県産牛の代名詞となりました。※種雄牛:繁殖に用いられる種雄
神石牛の「豊神」「豊実」号は大正15年5月、皇太子殿下による本県行啓の際、福山城跡において台覧の栄に浴しました。このことがきっかけとなり、大正15年12月2日、
大正天皇崩御により昭和2年2月7日に御大葬の儀が挙行されるにあたり、広島牛4頭(そのうち2 頭が神石牛)が異例(京都府丹波牛以外は初)の御下命を賜る栄誉に浴しました。
その後、轜車奉引を勤めた2頭(神石牛「豊萬」号・比婆牛「八幡」号)は、広島県の願いにより無償で宮内省から譲り受け(恩賜牛)、豊萬号はその子孫に多数の種雄牛を輩出し、
神石郡及び広島県の産牛に大きな影響を与え、今日までその血統は脈々と受け継がれています。
轜車奉引を勤めた後、伝説の霊牛豊萬号は、その6代孫に増体・肉質に優れた「第2横利」を輩出しています。(神石郡家畜市場跡に豊萬号の顕彰碑が現在も残っています)